北穂高岳~槍ヶ岳

南岳小屋の開く前、あまり残雪の多い時期では遠い道のりで
ビバーク覚悟になるけれど、
5月中旬~の雪の安定したときならば1日コースになる。
随所に雪壁が残り冬道のルートファインティングを理解している必要がある。
北穂~キレットへの雪壁は懸垂下降気味になるだろう。


上高地で一番好きな季節を代表する花がこれ。
寒さも和らぎ残雪が安定して、
雪山のプレッシャーもチョビットだけ下がる。
自然、ルート状況の変化が最も激しいのもこの時期。

滝谷。 稜線上の雪はほとんど消えていても
北穂の下りの雪壁はほとんど懸垂状態だ

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穂高岳の山祠(山名由来)

安曇野 穂高神社

豊葦原中津国の中央に嶺高く聳える山里がありここに瑞穂の国を築かんと大和朝廷は伊弉諾尊より生じた海神、綿津見神の子、宇都志日金拆命を祖神とする安曇の連に東夷平定を命じた。 初期の大和朝廷の東征は戦であるより弥生文化の伝搬つまり鉄器や土器、農耕、官位采配、税制や権威、宗教の浸透であることも多い。 この拓かれた瑞穂の地は後に安曇野と呼ばれる。 安曇野の西方の高き嶺々のさらに奥には里から見えない人跡未踏の岳の連なりがある。 これを瑞穂の国の民は神々の高天としていつしかこの隠された連山を穂高と呼ぶようになった。 この間に安曇族によって祀られた祖神、宇都志日金拆命はこの安曇野の地に於いて穂高見の神の名を持ち新撰姓氏録815年に安曇の連の祖として記され、延喜式神名帳927年に穂高神社として明神大社とされた。 また日本三代実録859年に神名、宝宅神と記されるが安曇族は801年大和朝廷の蝦夷平定の時に没落しているので何らかの齟齬があったかと思われる。 これをもって信濃の安曇族は謎の中に消えたが安曇野には瑞穂の地と菊の御紋を持つ穂高神社が残った。 穂高の地名を神名との時系列で推論し整理してみた。

2014年7月28日 西穂から槍の縦走中のジャンの登りより 明神岳上に八龍の彩雲の瑞兆

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憧憬の穂高岳・郷愁の八ヶ岳

八ヶ岳南西麓に位置する高原地帯の農村、原村の標高1000メートル付近に暮らし始めて25年ほどになる。 長野山梨県境となる高原地帯で富士見町と隣接し、甲府盆地に向かい笛吹川、富士川となる釜無川と伊那谷から天竜川に注ぐ諏訪湖の源流域で、最も広くなだらかな分水の峠を形成する高原となっている。 この原村、富士見町を囲むやまなみは南から東に壁のように連なる八ヶ岳、西には南アルプスの甲斐駒ケ岳が両翼に鳳凰三山と鋸岳を従え、信州側には冬は富士見パノラマスキー場の灯りが目立つ入笠山から諏訪の守屋山への丘陵へと続いている。

 富士見峠を分水の峠と紹介したけれど、八ヶ岳西山麓における実際の分水は、八ヶ岳の登山者にもなじみの深い赤岳、阿弥陀岳の主稜線から西に延びる御小屋尾根だ。 この顕著な長い尾根の南面、権現岳キレット寄りの立場川は富士川水系、北側の横岳や硫黄岳に発する柳川は天竜川水系ということになる。 蛇足ながら山麓の富士見町、原村の高原の開拓農地は江戸時代中期以降、戦後に至るまで、これらの流れを水源に利用する為に複雑に作られた入り組んだ用水整備によって開拓されている。 ある意味では人間による、現実的分水の歴史が作った高原の開拓地となっている。

山岳写真家の先駆者でもある、田淵行男氏の作品に「浅間 八ヶ岳」という写真集が有るが、若いころ勤めていた穂高岳山荘の図書室で初めてその古い作品と出会ったとき、その時代背景もさることながら、八ヶ岳という山の持つ郷愁の趣深さに感じいったものだ。 この山麓に暮らし、折に触れて見上げる八ヶ岳の風景に、あの写真集に有った写真の撮影ポイントはこの辺かな、と思える場所と出会うことが有り、懐かしさに似た気分を新たにする。 とはいえ、新しい建造物はもちろん、広大な圃場整備された田んぼや畑の中にも電線が張り巡らされている事にはがっかりさせられる。 2020年の東京オリンピックに向けて景観地の電線を地中に埋める計画もあるそうだが、山を臨む農村の電線も日本の風景を末永く楽しむ意味で埋められないものだろうか。

 良く晴れた日に中央高速道を走ると、この富士見の峠付近で上り線では富士山、下り線では槍穂高連峰が正面に見えてくる。 地名的には高速バスの富士見バス停、または中央道最高標高点の標識付近にあたる。 上り線の富士山については、ここ以降甲府までずっと正面に鎮座しているけれど、穂高岳については、諏訪湖サービスエリア付近で諏訪と木曽、安曇野を隔てる交通の要所、塩尻峠、塩嶺の山稜によって隠れてしまう。 塩嶺トンネルで峠を越えたみどり湖付近から塩尻辺りまででも穂高岳の上部は見えるのだけれど、山として眺めるには、蝶が岳から連なる前山が大きく、中腹が無い形状となるのでいささか興趣に欠けるように思う。

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